されどロックな日々 - ANNEX

「されどロックな日々」、別館 (ANNEX) でございます (^^)

ベビメタの殺人的な魅力は、3人が自らの可愛さに、まだ気づいていないがゆえなのである

ベビメタの殺人的な魅力は、3人が自らの可愛さに、まだ気づいていないがゆえなのである

※(注)これは僕の想像、空想、妄想、夢想などが全開になっている作文である。したがって自分にとってすこぶる都合の良い解釈、曲解、仮説、思い込み、ロジックの飛躍(あるいは破綻)などに満ちており、つまりは正確性や客観性、フェアなものの見方や考え方などはもとより望むべくもなく、微塵も存在しない。

こんな話を聞いたことがある。

人間には4種類の『自分』が存在する。

すなわち:
A)自分も他人も知っている自分 (open self)。
B)自分だけが知っており、他人が知らない自分 (hidden " )。
C)自分は知らないが、他人が知っている自分 (blind " )。
D)自分も他人も知らない自分 (unknown " )。

んで、ベビメタである。

かの3人が実に可愛く、大変魅力に富んでいることは誰もが知っている。
もはや公理と称してもまったく問題がないレヴェルといえよう。

その事実、つまり3人が可愛く魅力に溢れているということ。
それを、果たしてベビメタの3人、本人たちは知っているのか?

いや。
「知っているのか?」というよりも。
「しっかり認識しているのか?」と形容した方が良いかもしれない。

思うに。
3人ともまだ認識していない。

つまり、ベビメタの3人は、自分たちが誠に可愛く、非常に魅力ある存在であるということを、まだしっかりとは認識していないということで。

先に挙げた類型でいえば、C)の『自分は知らないが、他人が知っている自分』というか。

この場合の“自分”とは、もちろんベビメタ3人のそれぞれを指す。
“他人”とは、例えばスタッフであったり、ファンであったり、要するにベビメタを取り巻く人々の総体を指す。

もちろん、ライヴでのファンの反応だとか、各種SNSやブログ、またCDやDVDやグッズのセールス等々から、自分たちの存在が皆に喜ばれていることは、3人とも十二分に知っていよう。
しかしながら、自分たちの可愛さについては、未だ十分に認識していないように思える。

逆から考えてみる。

自分が可愛いことを知っている女子、あるいは自分が他人から可愛いと思われていることを知っている女子の場合。

どういう角度から写真やビデオを撮られれば、どういう可愛さ、どのレベルの可愛さが描出できるかを知っている。
例えば、左側からならキラーアングル、自分の最高に美しく可愛い画が撮れる。
右側から撮ってもらい、少しくふくれた顔をすると、小悪魔的な自分を演出することができる、等々。
時と場合によって、自らを巧みにディレクションできるというか。

“可愛さ”は、もちろん見た目ばかりではなく、内面をも含む。
内面の可愛さを演出するベストな方法は、“リアクション”でそれを見せることであろう。
こう言われたら、こう返す。
そうすると、すごく可愛いと思ってもらえる。
ああ言われたら、そう返す。
すると、まあそこそこ可愛いと受け取られる。

自分が可愛いことを知っている女子は、常に百パーセントの可愛さばかりを出すのではなく、そのときどきの状況や相手によっては可愛さにあえてオブラートをかけ、相手が自分に対して好意を抱きすぎないようにしたりすることもある。
嫌いな奴に好かれたくね〜し。
みたいなww

要するに。

自分が可愛いことを知っている女子なら、自分の可愛さの発露を制御し、TPOに応じてその放射レベルをコントロールしようとする。
外面、内面の別を問わず、自分の可愛さの現出レベルをある程度制御したりするのである。
場合によっては、可愛さを作り出すこともできる。表情や仕草も完璧である。
自分の可愛さや魅力を熟知、十分認識した上で、それに則った行動を取る、つまりはプロデュースできるというか。
このあたりの“プロ”は、アイドルばかりではなく、例えばキャバ嬢などにも強者がいるような気がする。

んでもって。
ベビメタに戻る。

僕が思うに、あの3人は、自分たちの可愛さや、その影響力の大きさをまだしっかりとは把握していないような気がする。
よって、自分たちの可愛さを特にコントロールするということもなく、可愛さを作るということもなく、ライヴやインタヴューなどでは、惜しみなく可愛さ全開状態になる。

結果として、全世界的なレベルでキュン死する者多数という状況になる。

まあ、キュン死の良いところは生物学的な死ではないということだろう。
キュン死とは、例えば1日に30時間ぐらいベビメタのことを考えるようになったり、可処分所得全額をライヴやグッズにつぎ込んだりすること等を指す(筆者談)。

近いところで強力なマテリアルをひとつ挙げるとすれば、やはりあの動画であろう。
そう。
他でもない、あれである、巷間有名な。
水野由結アリアナ・グランデのファンだと知った米国人インタヴュアーが「じゃあ、アリアナの歌をちょっと歌ってみてくれない?」と振ったときの、水野君本人によるあのリアクションである。

あの動画1本で、水野ファンがグローバルベース、1千万人は増えたであろうと計算される。
ちなみに、1千万という数字は決して当てずっぽうな数字ではなく、僕が独自に開発した、最先端のIT技術に基づいた、最新式の統計学的手法を適用して算出された数字である。
このマル秘な算出方法とそのシステム、いずれは特許を申請し、JAXAにでも売り込もうかと計画中である。

あの動画に見られる水野由結のリアクションは極めてナチュラルであり、自分が可愛く見えるように振る舞った結果描出された可愛さ、作られた可愛さでは断じてない。

まごうかたなき“地”の水野由結が出た瞬間であり、その可愛さのレヴェルは世の中の男子をして即死させるに十二分な破壊力を持っていた。

あの破壊力の大きさは、あのリアクションが「作られた」可愛さではなく、内面から自然発露した可愛さだったがゆえと言っても良い。

あの動画を初めて見たとき。
まだ閲覧途中だったというのに、僕は反射的にクロームの当該タブを閉じていた。

ヤバい。
今、見たの……、何?

水野。
ヤバ過ぎ。

恐る恐る、もう1回つべを開いてみた。
再生する。
見る。
やっぱりヤバかった。

これはオレにとっての、2015年“Video of the Year”になる。
そう確信した。

まるでトマトをにぎりつぶすかのように、水野君に心臓を鷲づかみにされた向きは多かったのではないか。グチャグチャにココロかき乱されたとゆーか。

実のところ、僕などは人間的に大変に未熟なため、あの動画を見てから2〜3週間、仕事やらプライベートな雑事やら、一切合切が手に付かなくなり、大変に難儀したものである。典型的なキュン死状態である。

可愛さの発露ということでいえば、もちろん水野さんだけではなく、中元さんや菊地さんも十分にしかりである。ステージやインタビューやその他諸々、可愛さの制御やコントロールは見当たらないのである。もとより、んなもん不要、常に全開なのである。

ファン歴(つまりは一応メイト歴)は1年と8か月少々を数える僕だが、未だにベビメタに対するコミットメントの度合いは衰えを見せない。

と、そこに。
「バ〜カ」
という声。

ん?

「ベビメタは、3人とも、自分たちがいかに可愛いかなんて、良〜っく知ってるよ」
そう……?
「あったりまえよ。その上で、しっかり可愛く見せてんの。あたかも自然と振る舞っているようにな」
ふ〜ん。
「すべては芝居よ、シバイ」
芝居ねえ。
「そ〜だよ。わっかんね〜の、そんなことも? 奴らは幼いころからプロフェッショナルな教育を受けた、根っからのタレントなんだし」
あ、そ。
「ユメ見るオサーン、哀れだね〜」(プゲラ)
はいはい。
冒頭で書いたアナロジーで言うなら、実は A)の「自分も他人も知っている自分」ってことね。

もしそうだとしても。
ダイハードでハードコアなおっさんのメンタルは屈強であるw

結局のところ3人の“演技力”はまったくもって天晴れなのであり。
その意味でリスペクト120%。

喜んでだまされましょう。
進んでだまされましょう。
無問題。
僕の BABYMETAL に対するコミットメントには、寸分の違いも揺れもブレも出ないのである。


それにしても。

こうして僕がしょうもない作文を書き散らかしている間にも。
ベビメタの3人は、全世界的なレベルで人類を魅了し、ファンを増殖させている。
そのスピードは未だ衰えることなく、いやむしろ日々加速度的ですらある。
しかも、累乗レベルで。

11月現在17才の1名と、16才の2名は、自らの可愛さを制御することなく、つまりは惜しげもなく披露し続け、結果としてキュン死者の数は全世界的な規模で増え続けるばかりなのである。

自分は知らないが、他人が知っている自分のパワーはときとして絶大だったりする。

そしてまた、若いということは、時として容赦なく、実に残酷なものなのである。