防災を意識するようになったら、アマチュア無線を再開していた
中学のとき、凝りに凝った、アマチュア無線(通称“ハム”)。
張り切って『電話級』(当時)、『電信級』(当時)、『2級』の免許を立て続けに取り、もちろん学校ではアマチュア無線部に所属。
自作のラジオはもちろん、ブースターアンプやらパワーアンプを作って喜んでいた。
文化祭のときなど、モールス信号による交信風景を、得意げに公開していたものだ。
とはいえ。
校内からは「無線に凝ってる暗いヲタ集団」という感じのレッテルを張られていたのも事実。
ま、そんなの全然気にしてなかったっていうか、ど~でも良かったって感じでw
中3の後半になってから少しく色気付き始め、うっすらと、しかし確実に興味を持ちだした音楽に凌駕されるような形で、僕の中からハムに対する情熱は急速に冷めて行き。
もちろん「1級の免許を取る!」などという熱意も消失して行った。
ロックギタリストに憧れるようになっていた当時の少年にとっては、忘れ去りたい、消し去りたい過去になっていたのである。
以後。
アマチュア無線というのは自分史の中で『黒歴史』と化して行った。
が、しかし。
それから、ン十年後。
2011年3月。
かの大震災が東北を襲い。
防災活動の陰で活躍していたのがハムだと知り。
そういえばオイラも免許持ってたな~。
大地震が来て固定電話はもちろん、ケータイやらネットもダウンしたとしたら……。
単純にバッテリーが切れるってことだってあるじゃん、携帯機器って消費電力小さくないし。
なんて考えていたら、「そうだ再開してみよう、アマチュア無線」となったのであった。
その昔、中3のころ使っていた自分のコールサインはまだ生きているのだろうか。
日本アマチュア無線連盟(JARL)に問い合わせてみたら、オーケーとのこと。
早速申請。
待つこと、1か月少々、コールが下りたところで秋葉原へ行き、無線機やらアンテナを買い込み、無事開局。
とりあえず在宅時、歩行中、クルマの中で緊急対応として通信できる環境を作っておいた。
また、念のため、自分が住んでいる自治体の防災計画なども読む。
しっかりあった。
災害時における「情報収集の協力に関する協定」なるものが存在し、そこにアマチュア無線との協力をどのように遂行して行くかということが微に入り細を穿って規定してあった。
ええ、ええ。
ご協力申し上げましょう、喜んで。
んで。
今回の熊本の地震。
未だに大きな余震が続いているのが非常に不気味。
関東へ波及する可能性も否定できないとか何とか物騒な議論もなされているようだし、実に恐ろしい。
僕がアマチュア無線でアクティブに活動するとしたら、それはつまり災害が発生したときとイコールに近くなるわけで、その意味では僕がアマチュア無線を積極的に使うような事態にはならないほうがベターということになる。
しかし。
かつては“King of Hobby”なんて呼ばれていた時期もあるわけだし、防災目的以外でも楽しむことができたらとは思うのである。
東日本大震災までは黒歴史ってことで封印してきたアマチュア無線歴ながら、これからは静かに、いわゆる“マイブーム”になって行けばと考える次第。
いわば、自分にとって、黒歴史から白歴史、または黄金の歴史になる、実に歴史的転換(?)みたいなw