3月14日。元モップス、鈴木ヒロミツさんの命日
かまやつひろしさんが3月1日、膵癌で亡くなった。享年78。
ちょうど10年前の今日。
すなわち2007年の3月14日。
元・ザ・モップスのヴォーカリスト、鈴木ヒロミツさんが肝細胞癌で亡くなっている。享年60。
お二人ともガンと戦っていた。
合掌。
ヒロミツさんが亡くなってすぐ出版された本がある。
タイトルを『余命三カ月のラブレター』という。
僕も未だに持っている。
僕は本を買うと、必ず購入年月日を最後のページに書き込んでおくのだけれども、この本のそれは「6-15-2007」となっていた。ヒロミツさんが亡くなってから、約二か月後に買ったことになる。
で、その内容である。
前年末に体の不調を覚え。
正月に病気の宣告を受け。
「今年の桜はもう見られないかもしれない」
そう嘆きながらも、昔のことを思い起こしながらヒロミツさんが全身全霊を傾けて執筆した、文字通り入魂の作である。
この本の第二章には、モップスの全盛期の話が色々と綴られている。
日本におけるサイケデリック・サウンドの草分けとして、モップスがどういう風に音楽シーンに斬り込んで行ったかが克明に記されていて、非常に面白い。
当然ながら、ザ・スパイダース、ザ・ヴィレッジシンガーズ、ゴールデンカップス、その他諸々、当時第一線で大活躍していたアーティストとの逸話が次々と出て来る。
ちなみに、かまやつさんのいたスパイダースは、モップスが所属していたホリプロでの先輩に当たる。
モップスの解散について触れた部分には、「モップスは解散するまでずっと仲が良かった」というくだりがある。
バンドの解散というと、一般的には色々と難しい問題があったりするケースも散見されるが、少なくともモップスの場合にはそれが該当せず、極めて平和的かつ穏健に事が運んだことがわかる。
モップスといえば去年、2016年6月。
東中野のカフェじみへんで、元モップスのベーシスト三幸太朗さんのライヴを拝見する機会があった。
現在は、三幸太朗 with サイケデリックスというバンドでヴォーカルとベースを担当しておられるのだが、この日はアコースティックセットで往年の名曲から新曲まで、幅広く披露してくれた。
ライブがハネてからは、色々と当時のお話が聞けたりして、非常に楽しく、また充実した日であったのを良く覚えている。
時を置かずして、その3か月後。
9月には同じライブハウスで三幸さん & 氏の大先輩との共演を見る機会に恵まれる。
他でもない、スパイダースでベースを弾いていた加藤充さんとのジョイントライヴである。
すでに伝説化しつつあるモップスとスパイダースではあるけれども、お二人のジョイントライブはまさに圧巻の一言であった。
何せ、伝説化しているバンドの元メンバーの方々の共演を、まさに目の前で見ることができたのであるから、当然といえば当然か。
終演後、加藤さんとも少しだけ話をさせていただいたのだけれども、バンドを解散してからもかまやつさんとは変わらず交流があったようで、ステージを共にしたときのことなど、色々と興味深い話をしてくれた。
カフェじみへんといえば、先日、カウンターの上で珍しいシングル盤を見つけた。
モップスの「たどり着いたらいつも雨ふり」である。
歌詞カードが手書きとなっており、しかもギターのコードが付記してあったりして、さりげなくもしっかり味のある仕上がりとなっていた。
何というか、当時が偲ばれる逸品なのである。
拡大してみると……。
歌詞カードには、メンバーの名前が列記してあるのだけれども、トリビア的見地から(?)ちょっと興味をそそられた。
つまり。
まあ、大したことではないのだけれども(笑)。
三幸太朗さんの表記が、「三幸太郎」となっていたり。
また、鈴木ヒロミツさんの表記が、「鈴木博三」となっていたり。
何気にこういうことに興味を引かれたりするのは、たぶん僕の悪いクセか。
とまれ。
鈴木ヒロミツさん、10回目の命日。
また、かまやつひろしさんが先般召されたということで、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなくぽつらぽつらと書き綴ってみた次第。
改めて……。
合掌。