されどロックな日々 - ANNEX

「されどロックな日々」、別館 (ANNEX) でございます (^^)

BABYMETAL が今後10年間以上は活躍し続けるであろう10の理由、その1



※(注)これは僕の想像、空想、妄想、連想、夢想などが全開になっている作文である。したがって、自分にとってすこぶる都合の良い解釈、曲解、仮説、思い込み、ロジックの飛躍(あるいは破綻)などに満ちており、正確性や客観性、フェアなものの見方や考え方などはもとより望むべくもなく、微塵も存在しない。




BABYMETAL が今後10年間以上は活躍し続けるであろう10の理由、その1

まさに掲題どおりなのだけれども。
BABYMETAL のウェンブリーにおける大舞台をLVで見て、僕は一つの確信を得た。
すなわち。
SU-METAL。
YUIMETAL。
MOAMETAL。
彼女たちは今後10年間。
あるいはそれ以上。
確実に活躍し続ける。
BABYMETAL として。

それについて、10個の理由を10回に分けて作文する。

内容的には:
・マクロファンダメンタルズw
・供給側(Supply side) 〜 ベビメタ、神バンド、制作チーム、マネジメントチーム
・需要側(Demand side) 〜 マーケット、ファン、ヘイター、メディア業界
などのそれぞれの観点から、なぜベビメタが長寿のグループになって行くかを10個の理由にまとめてみるという趣向である。

まずはプロローグから始めて、十の理由、んでもって、〆でエピローグ。
全10回。
(※ちゃんと10回、ほんとに続けろよ、お前 → まかしとかんかい)

んぢゃ、早速ではあるが、ぽっつらぽつらと作文してみたい。


【プロローグ】

「ベビメタ解散説」

時折り、ネットでまことしやかにささやかれる妙な噂がある。

「ベビメタはもうすぐ解散する」

という、あれである。

僕がベビメタにのめり込み、メイト(というか、より重病の真性ヲタ)になったのは2014年の3月であったが、爾来、何回も目にして来たお話である。
解散説の代わりにメンバーチェンジ説なんてのもあった。
かようなポストを見るたび、「んなアホな」と思いつつ、しかしその都度何となく心配になってしまい、つい真剣に読み込んだりしたものである。

この話題を口にするのは何も日本のメイトに限ったことではなく、海外のメイトの中にも、いかにもおどろおどろしい筆致で、最もらしく書く輩がいた。
何気にロジックがしっかりしていて説得力があったりして、僕自身、かなり心がざわついたりしたことがあったことは事実である。

いわく。
SSAの新春キツネ祭りで電撃的に発表される。
年末の横アリが最後だ。
すうが二十歳になった年末、2017年12月。
ゆいもあが二十歳になったとき、等々。

それぞれに、いかにもな理由が添えられていたりしたものだ。

僕がヲタになる以前だと「すうのさくら学院卒業でベビメタも終わり」なんて噂も出ていたらしい。

最近だと、9月の東京ドーム公演が最後だと『予言』するような書き込みも目にした記憶がある。

確かに、バンド名の中に『baby』という言葉があるわけだし、すでに活動が6年目に入っていることもあり、それっぽく書かれてしまうと、あながち説得力がないわけではない。

ティーンネイジャーであるからこそ成立する『“baby”メタル』であって、メンバーが二十歳を過ぎたらもう“baby”じゃないし、グループとして成立しない、みたいなことを書かれると、「んなこたねえべ」と思いつつ、「だけどもしかしたら」とかつい思ってしまうのである。

しかしである。
かようなトピックが語られる場合、往々にして背景に「ベビメタには解散して欲しくない!」という強い思いのようなものが見て取れることがある。
つまり、解散して欲しくないという意思の強さゆえ、逆にいずれは避け得ない解散という事態が気になって気になって仕方がない。
結果として「もうすぐ解散」説を語ってしまうという。

ときにパラドキシカル。
ときにアンビヴァレントでデリケートなファン心理というかw

他のファン、メイトさんたちから思い切り否定して欲しいという深層心理があるのかも……しれない。

あるいは、あまりにベビメタが急成長し、ニッチマーケットからマスマーケットに消費者が拡大して来たがゆえの『寂しさ』のようなものが、根底にあるようなケースもあろうか。

ま、いい。

とにかくである。
僕が思うに。
BABYMETAL は向こう10年以上、いやもっと先の先まで活動を続けることになる。

これは昨今のベビメタを取り巻く環境全般を見ながら薄々感じて来たことなのだが、先般のウェンブリー公演LVを見て、決定的に確信するに至った。


【理由、その1】

「恐るべき強運の持ち主 BABYMETAL」

ベビメタには、これまで多くの偶然や奇跡や運が味方してくれた例が多い。
まずもって、才能に恵まれた3人がこの世に生を受けたことが奇跡の発端であろう。
そして、その3人がタイミング良く出会ったこともそうであろうし、名馬に伯楽よろしく KOBAMETAL がいたこともそうであろうし、その他諸々、ミクロのレベルで数多くの逸話がある。

んでもって、今回。
マクロ、かつファンダメンタルというか、長期的見地から考えた場合なのであるが。

ベビメタはとてつもない強運の持ち主であると、改めて思うのである。

他でもない。
東京オリンピックである。

本年、2016年はオリンピックイヤーであり、現在のところ、ブラジルはリオデジャネイロに世界の注目が集まっている。
8月下旬には宴が終了するわけだが、その瞬間から世界の耳目が徐々に日本に注がれるようになることは必至であろう。
そして、それは2020年の東京オリンピックに向けて、時々刻々強まって行くのである。
4年間にわたって。

んでもって、ベビメタである。
2年前の世界ツアーに始まり今年に至るまで、すでに世界的な注目を集めているのは周知の事実。
その活動とまるでタイミングを符合させたかのように、近い将来。
世界的。
地球的。
全人類的な。
大イヴェントが、ベビメタの母国ニッポンはその首都、トーキョーで開催されるのである。

ベビメタは期せずして、その世界的な潮流、時流に乗ることができるのだ。

別に誰が画策したわけでもあるまい。
目論んだわけでもあるまい。

ベビメタ結成の2010年当時、2020年のオリンピックが東京で開催されるなどと考えていたベビメタ関係者はまずいなかっただろうし。

振り返ってみれば、2020年の五輪が東京で開催されることが決定したのは、3年前の秋だった。

もしかしたらではあるが。
その頃、つまり2013年の秋にはすでにベビメタのファーストが年明け、2014年の3月に出ることが決まっていただろうから、IOCによるオリンピックの東京開催決定を聞いて、少しく意識するようになった関係者はいたかもしれない。
また、2014年のワールドツアーの日程なども徐々に詰められていただろうから、それが頭の片隅によぎった関係者もいたやもしれぬ。

だが、2020年の五輪が東京に決定されたことと、ベビメタの活動には根本的に何らのつながりもなく、すべては「気づいてみれば」「結果として」偶然そうなっていたということに他ならない。
要するに、ベビメタの活動を、意識的にオリンピックにリンクさせようなどと考えた人間はまずいなかったはずだ。

はっ!?

ちょっと、待て。
否。
もしかしたら。
いたやもしれぬ。
それを考えた存在がだ。
そうなるように導いた存在がだ。

もしいるとしたら。
それは。
人間ではなく。
あのお方しか考えられない。

The Fox God である。

……(汗)。

とまれ。
今年の夏以降、2020年の東京オリンピックをにらみながら、向こう4年間日本に世界の注目が注がれるようになる。

今後、ベビメタは図らずして、全世界的な超ビッグイヴェントのトレンドに乗り、世界に向かって突き進んで行くことが可能なのである。

もちろん、オリンピックがベビメタにとってマスト・アイテムというわけではない。
オリンピックなど利用しなくても、世界進出を推進することに何ら支障はないわけだが、東京五輪がベビメタにとって大いなる追い風となろうことは間違いない。

ベビメタがオリンピックにタイミングを合わせたわけではない。
オリンピックがベビメタにタイミングを合わせてくれたのである。

ひとたび時流に乗った人間の勢いたるもの、実に強烈でありマッシヴである。
そう容易には手が付けられない。
誰かが止めようとしたところで、どだい無理な話であり、とても止められたものではない。
それはなぜかといえば。

今度は時流のほうが、その人間たちを容易には手放さないからである。

The Fox God のご加護を受けたベビメタは、期せずして時代の潮流、しかも世界的規模、地球的規模、全人類的規模の時流に乗った。
3人がとてつもなく強運である所以である。

(以下、その2に続く。はず)

ウェンブリーLV観戦@Zepp 〜 だけど新作まだ聴いてない


BABYMETAL ウェンブリーLV@ Zepp DiverCity 観戦 〜 僕が『Metal Resistance』をまだ聴いていない理由

※(注)これは僕の想像、空想、妄想、連想、夢想などが全開になっている作文である。したがって、自分にとってすこぶる都合の良い解釈、曲解、仮説、思い込み、ロジックの飛躍(あるいは破綻)などに満ちており、正確性や客観性、フェアなものの見方や考え方などはもとより望むべくもなく、微塵も存在しない。

僕はベビメタヲタとして失格である。
なぜなら、まだセカンドアルバムを聴いていないからだ(4月4日未明現在)。
発売から数日を経ているのに、まだなのである。

ヲタを自称するのであれば、特別先行予約とかを早々と入れて、心待ちにするのが流儀であろう。
あるいは、違法と知りつつも、発表前にリークされたネット上の音源をくまなくチェックするぐらいの気概があってもしかるべきであろう。

しかるに。
僕はそのいずれもやっていなかった。

失格なのである。
ヲタとして。
ファンとして。
つまりはメイトとして。

だが。
なぜそうしなかったのかといえば、そこにはもちろん理由がある。
確固たる。
厳然たる。

一言で言えば。

「怖かったから」

……。

あ、そこの人、笑ってますね。
ええ、ええ、笑ってやってください。
わかります。

でもね。
本当にちょっと怖かったんですよ。

何がって?

2作目のジンクス。

ってやつです。

デビュー作が素晴らしいと、2作目に対するスタッフやファンたちの期待値が高まり、一方では「名作を作らねば」というアーティスト自身の焦りもあったりするわけで。

2作目が大コケする。

こういう例は、過去、数多く存在した。

僕は心中それを恐れていた。

2010年にデビューした BABYMETAL さん。
メジャーからファーストが出たのは2014年。

ってことは、ファーストにおいては、過去5年弱の間に作られた曲の中から、選りすぐりの曲をチョイスすることができたのである。

ベビメタのファーストは「ファーストにしてベスト」っていうのがキャッチになっていた記憶があるのだけれども、まさにその通りだったわけで、過去の曲の中からベストな曲を『イイトコドリ』することができたのであり(cherry picking possible)、ファーストのクオリティの高さはそれに依拠すること大であった。

というのが僕の見立てであった。

「怖かった」というのは、このあたりに背景がある。

何せ、2作目においては、絶対的な準備期間が、1作目に比べると格段に短かった。
1作目のヒットを受けて、それに見合う、いや、それを超越する作品を作らねばならない。
事務所のプロダクションチームやレコード会社のスタッフにかかっていたであろう、大いなるプレッシャーは並大抵のものではなかったことは想像に難くない。
メンバー3人にとっても大いなるチャレンジであったはずだ。

そしてそれは受け手である僕にとっても全く無視できない案件であった。
つまり、ダイハードでハードコアなヲタを自称する(決して詐称ではないw)自分にとっても、大いなる心配のタネだったのである。

嗚呼。
もしも。
2作目がコケたらどうしよう。
Sophomore slump.
ベビメタの駄作なんて、聴きたくね〜し……。
Second season syndrome.

                        • -

んでもって。

2016年4月2日土曜。
昼間、僕は神田川沿いで花見に参加していた。
行きつけのライブハウス主催、毎年恒例の花見である。
酒を飲み、つまみをほおばる。
寒かったけど、桜は圧倒的に綺麗だった。
「今晩はベビメタのLVか……」
酒を飲みながら、美しい桜を見て、ついベビメタの3人を思い出すおっさん。
タバコの煙が目に染みる。

夕方〜夜。
そのライブハウスでのオープンマイクに参加。
また酒とおつまみ。

そして深夜。
26時過ぎ。
僕は首都高環状線(C1)内回りを快調に飛ばしていた。
土曜深夜のC1といえば、かつては華やかでド派手なチューニングカーたちがひしめき合い、カッ飛んでいたものだ。
湾岸線に行けば、PやFなど、高級外車がアウトバーンを走るかのようなスピードで流していた。
それなのに、昨今の惨状は何だ。
閑古鳥飛びまくりで、チューンドはほとんど見当たらず、僕の車1台の貸し切り状態のような箇所もあった。

閑話休題

浜崎橋ジャンクションのY字を右に進み、左車線をキープしたままレインボーブリッジに入る。
そして、レイブリの途中、『台場』で下道に降りる。
DiverCity のパーキングに車を入れ、小雨のそぼ降る中、いったん外に出て Zepp DC に向かう。
黒Tのおっさんやにーちゃん、ねーちゃんたちが視界に入り、否が応にも気分が高揚する。

xxxxx
xxxxx
xxxxx

30時半、つまりは4月3日早朝6時半過ぎ。
僕は Zepp DC 至近にあるガンダムの横で放心状態になりつつ、呆然と突っ立っていた。

汗まみれの戦国T。
口はだらしなく開き切り。
顔もだらしなくゆるみ切っていた。
に違いない。

UKはウェンブリーアリーナにおけるパフォーマンスがあまりに素晴らしく。
耳慣れない、新しい曲の数々が珠玉の出来であることを、自分のこの耳で確認したのであった。
一部の曲は、すでに幕張や横アリで聴いていたけれども。

それにしても、良かった〜。

2作目のジンクス。
Sophomore slump など、ベビメタにはまったく無縁であった。
その正体は単なるおっさんの杞憂であり、無用の長物であったのである。

ヲタ自称のくせしてベビメタが信じられなかったって、メイト失格だろ。

ええ、ええ、お言葉はごもっとも。

でもそんなそしりのお言葉も、僕にとってはもはや励みの言葉なのであるw

とにかく良かった。
2作目もとんでもない名作で。

これで心配することなく、新作「Metal Resistance」が買える。
これから向こう、少なくとも1か月間は超ヘヴィローテーションで聴き込む作品になることは確実なのであった。

ところで。
ウェンブリーでの公演が素晴らしかったことは、すでに各種SNS、メディア、ブログ、その他ありとあらゆる場所で語られまくっているので、僕ごときが今さら書く必要などなかろう。

とはいえ、自分なりに思いっ切り丸めて言えば。

ベビメタの。
とんでもない才能。
これまでの著しい成長ぶり。
これからの潜在性、つまりはまだまだ圧倒的に残っているところの。
ポテンシャル。
伸びしろ。
これらを余すところなく、ほとんど完璧に近い形で示し、証明して見せたライヴであった。

忘れてはいけないのが、マネジメントチームやプロダクションチームの優秀さ。
皆さん、第一線で活躍する、エキスパートの集まりなのである。
そして, the last but not the least、神バンドの超絶テクニック、恐るべき実力。
これらの方々、皆さんのサポートは言わずもがななのである。

そうだ、この際だからアミューズの株買おう、週明けに買おう、そうすれば今年の株主総会に出られるぜ、んでもって、ベビメタ戦略をマネジメントから直接聞けるぜ、もしかしたらベビメタの3人が来てて、握手してもらったりサインしてもらったりできるかも、やったぜベイビーとか妄想爆発させてたら、決算が3月だから、3月31日の時点で株主じゃなきゃ出席できないってことなのとか悩んだりすることしきりでしょぼんなのであった。
やっぱそうなんでしょ、たぶん。

閑話再休題。

LVにおいて。
個人的には、クロージングにおける水野さんの美しさ。
またそれにたがわぬ美声にブチ殺された。
水野さん、素敵杉。

中元さんも。
菊地さんも。
水野さんも。

そしてメイトの末端に鎮座しているオッサンも(→僕)。

まだまだ。

まだまだ。

まだまだ行くよ。
なのである。

              • -

おまけ。
てか、追伸。

巷間、良く語られている話に“ベビメタ短命説”のようなものがある。
要するに、ベビメタがベビメタでいられるのは3人がティーネイジャーであるがゆえであり、それを過ぎれば自ずと旬が過ぎ去り、解散を余儀なくされよう……みたいな話である。
これは国内だけではなく、海外のメイトの中にも色々と「分析」する向きがある。

いかにももっともらしく、理にかなったお話のように聞こえるけれども。

ふふっ。
あめ〜よ。
あせ〜よ。

そういや、過去のエントリーで、僕は書いた記憶がある。
つまり、ベビメタは案外長寿グループになって行くだろうみたいな。

ウェンブリー公演を見て、今回その感をさらに強くした。

「BABYMETAL は、将来にわたって、かなりの長寿グループになる」

それはなぜかというと。

BABYMETAL@横アリ追想、その1 〜 さくら学院重音部時代から今日(こんにち)に至るまでの集大成を見たのであった


BABYMETAL@横アリ追想、その1 〜 さくら学院重音部時代から今日(こんにち)に至るまでの集大成を見たのであった

※(注)これは僕の想像、空想、妄想、連想、夢想などが全開になっている作文である。したがって、自分にとってすこぶる都合の良い解釈、曲解、仮説、思い込み、ロジックの飛躍(あるいは破綻)などに満ちており、正確性や客観性、フェアなものの見方や考え方などはもとより望むべくもなく、微塵も存在しない。


平成27年12月13日日曜。
17時過ぎ、横浜アリーナ

BABYMETAL WORLD TOUR 2015 in JAPAN

  • THE FINAL CHAPTER OF TRILOGY -

ACT 2

BABYMETAL のライヴを観るのは半年ぶりだった。
6月の WORLD TOUR 2015 〜巨大天下一メタル武道会@幕張メッセ以来である。
その間、もちろん指をくわえて眺めていたわけではない。
黒ミサや Zepp 等々、チケットを入手すべく色々とチャンレジを繰り返してはいたのだが、キツネ様はひたすら僕に厳しかった。

半年ぶりに見るベビメタは、見違えるほどの成長を遂げていた。
かの女子3人は、モンスター級の存在になっていたのである。

今や、たとえ相手がゴジラであったとしても、SU-METAL の蹴り一発で蹴散らしてしまうことだろう。
舐めたらいかんぜよ。
あなおそろし。

それにしてもである。
長い間オアズケを喰った恩恵か。
あるいは、怪我の功名とでも言うべきかw
半年間観ることができなかったがゆえ、逆に3人の成長ぶりをしっかり認識することができたという部分が多々あり、その意味においては、キツネ様には大いに感謝すべきなのかもしれぬ。
ありがとう、キツネ様

                • -

6月の幕張以降、ベビメタには海外ツアーがあり、レディング&リーズという、超ド級の大舞台もあった。

半年。
すなわち6か月間。
すでに中年の域に達している僕自身には何の変化もなく、6月の僕も12月の僕も、何も違わない。
成長の爪あとなど、まったく見当たらず。
ただ単に半年分トシを喰っただけであるw

しかるに。
ベビメタの女子3人は違う。
「たった」半年間に、とんでもないスケールとスコープをもって、目を見張る大成長を遂げていたのである。

時流に乗った人間は怖い。
時代の波に乗った人間は恐ろしい。
自らの持つ、怖いほどの力を知らないから恐ろしい。

当人たちは至って呑気である。
可愛いのである。
美しいのである。
ニコニコしているのである。
あくまでも天真爛漫なのである。

見た目こそ麗しいとはいえ、持っているパワーはとてつもなく巨大であり、すでに怪物である。
到底手を付けられたものではない。
もはや、あの3人の勢いを止められる者などいまい。
BABYMETAL 界隈は今やとんでもないことになっているのであった。

                • -

今回のベビメタ@横アリを観て痛感したことがある。
すなわち、彼女たち3人に対する自分の認識を改めるべき時期に来ているということである。

僕が本格的に“ベビメタ命”になり始めたのは、昨年3月。
それからすぐに BAW (BABYMETAL APOCALYPSE WEB) に加入し、渋谷は O-EAST で何回かライヴを見た経験から、僕個人としては、ベビメタには小さめのハコが似合うと思っていた。

(※今となっては、にわかに信じられないことだが、ほんの1年半ぐらい前だと、O-EAST のチケットが連チャンでフツーに取れたりしていたのである。詳しくは僕の『チケット当落結果一覧』エントリーを参照されたい)

ベビメタは大きなハコで観るより、小さなハコで観たほうがイイ!
という呪縛から、今年の黒ミサや Zepp 関係の抽選にはずれたことは大変に嘆かわしく、己の不運を大いに呪ったものである。

しかしながら。
今回の横アリを観た結果として。
自分の理解と認識に、小さからぬ軌道修正を入れる時期が来たと、襟を正した次第である。

そのココロは、ベビメタはもはや決して大げさではなく堂々たるグローバルレベルのエンタテイナーであり、アリーナ、ドーム、あるいは巨大フェスのようなステージこそがふさわしいアーティストであるということだ。

かといって、別に O-EASTZepp がイクナイと言っているわけでは毛頭ない。
小さいハコには小さいハコなりの良さや楽しみがある。
それを否定するつもりはさらさらない。

それを踏まえた上でなお。
やはり今や大バコが実に似合うアーティストに成長したと、つくづく思うのである。

これはもちろん偶然ではなく、まったくもって必然であった。
さくら学院重音部における、2010年から始まった地道な活動を通して、3人は将来アーティストとして生きて行くに当たって必要となるであろう、基礎的な体力や資質を身に付けて来たのだと推測する。

いずれは“スーパーレディ”になるという、確固たる目標を達成するべく、3人はさくら学院での活動を一つ一つ大切にして来たわけで、それらの軌跡はDVDや YouTube の動画で逐一様々に確認することができる。
さくら学院イコール“成長期限定ユニット”とは、誠に言い得て妙なのである。

そして、さくら学院で学んだことをバックボーンとしながら、ギミチョコのビデオを一つのきっかけとして、去年から今年にかけ、短期間の間に驚異的な成長を遂げ、一気にブレーク、グローバルレベルでその名を広めた。

もともとがズバ抜けた才能を持っていたすう、ゆい、もあではある。
しかし、才能におごることなく、努力を惜しまず、勉強熱心でもあり。

そんな3人が国内外の大舞台を踏むプロセスにおいて、ただボーっと時間を過ごして来たとは到底考えられない。
五感を研ぎ澄ませ。
アタマと身体とをフルに使い。
スポンジが水を吸い込むような勢いで。
つまりは驚異的な吸収力で。
多くのことを広く、かつ深く学んで来たに違いない。

今回のステージでは、3人がさくら学院重音部時代から今日(こんにち)に至るまでに学んだことの集大成を。
メタルな気合をしっかりブチ込みつつ。
一方では、女子ならではのおもてなしなココロをも丁寧に織り込んで。
しっかりと披露してくれたような気がする。

まさに2015年を締めるにふさわしいステージ。

横アリのライヴがフィナーレを迎え、巨大なステージで、小柄ながらも文字通り光り輝くすう、ゆい、もあ。
その勇姿を見て、うるうるしてしまった人は少なくなかったはず。
オーディエンスはもちろん、制作チームのメンバーもきっと。

おい、客席のそこのオッサン。
泣くんぢゃない!
いや。
ウソだ。
泣け。
ここは泣いてもイイ。
心行くまで。
思い切り泣け。
涙はふくな……!

って、オレのこと言ってんの?w

ことほどさように3人の熱い気持ちが伝わって来る、実に感動的なステージであった。

良いもの見せてもらいました。
いや、本当に。

起立!
気を付け。
礼!
「ありがとうございました!」

            • -

次回は、なぜベビメタにアリーナやドーム等の大舞台がふさわしいのか、もうちょっと掘り下げてみっぺかと思う。
その後は、僕が横アリで観た中元・水野・菊地の女子3人、それぞれの成長譚(みたいなもの)。
素晴らしき漢(おとこ)たちこと神バンドのこと。
ベビメタとメイトさんたちとの関係性。
とか、まあそのあたりの諸々を、想像と夢想と妄想で暴走しつつ。
ぽっつらぽつらと作文してみたい。

映画『バクマン。』を観た

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バクマン。』という映画を見た。2度も(笑)。

 

マンガを題材にした作品ではあるが、同じ『表現行為』という点からは、音楽と実に大いに重なる部分があり、2時間×2回、ほとんどかぶり付きで見てしまった。

「マンガは読者がいてこそマンガとして成り立つ」というセリフには少々、いや、かな~り耳が痛かった(苦笑)。

 

音楽もしかり。
ライヴであれCD/DVDであれ、カヴァーであれオリジナルであれ、やはり『聴いてくれる人』がいてこそ、音楽として成立するという部分は否めないと思うわけで。

 

その点、『自称・ミュージシャン』(笑)である僕が企画ライヴなどに出演する場合、毎回苦労するのは、何といっても動員なのである。

友人、知人関係に声をかけ、オーディエンスとして来てもらうとしても、せいぜい3回ぐらいまでが限度。
仏の顔も3度まで……みたいな(笑)。

お声掛けするにしても、あまりに程度の低いパフォーマンスであったりすれば、カネと時間の浪費をさせてしまうことにも成りかねないわけで、このあたりがなかなか難しい。

 

そんな僕にとって、オープンマイクだとか練習会だとか発表会だとかは、大変に貴重な機会となる。

何せオーディエンスがいてくれる上、さらにはその方々は皆、音楽をやられる方々であるが故、その場でエクスパート的な感想が聞けたり、貴重なフィードバックやアドバイスを頂けたりする。

他の方々の歌や演奏を見聴きすることもできる。

 

この映画「バクマン。」、音楽とは直接的なつながりはないものの、「モノをクリエイトして人様に提供する」ひるがえって「芸事を人様の前で披露させていただく」とはどういうことなのか、何が重要で何をするべきなのか等を考えさせてくれる、なかなかに有意義かつ貴重な作品。

 

映画としての作り込みも、実にしっかりしているので、単純に映画作品としても楽しめる。

スマホのカメラがすごいことになっている件

この記事を見せてくれたカメラオタの友人いわく「カメラ好きには、ケータイやスマホのカメラを『敵視』している向きが少なくない」との由(僕には意味不明。笑)。

にもかかわらず、うるさ方で鳴らす老舗のカメラ専門誌が、12ページの長きにわたってこういう特集を組み、まじめに検証していることは、まさに「画期的」なのだそう。

どのみち僕には到底理解できない世界ではあるけれども、ただひとつ、iPhone のカメラがスグレ物であることだけは、とても良くわかった(笑)。

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ベビメタの殺人的な魅力は、3人が自らの可愛さに、まだ気づいていないがゆえなのである

ベビメタの殺人的な魅力は、3人が自らの可愛さに、まだ気づいていないがゆえなのである

※(注)これは僕の想像、空想、妄想、夢想などが全開になっている作文である。したがって自分にとってすこぶる都合の良い解釈、曲解、仮説、思い込み、ロジックの飛躍(あるいは破綻)などに満ちており、つまりは正確性や客観性、フェアなものの見方や考え方などはもとより望むべくもなく、微塵も存在しない。

こんな話を聞いたことがある。

人間には4種類の『自分』が存在する。

すなわち:
A)自分も他人も知っている自分 (open self)。
B)自分だけが知っており、他人が知らない自分 (hidden " )。
C)自分は知らないが、他人が知っている自分 (blind " )。
D)自分も他人も知らない自分 (unknown " )。

んで、ベビメタである。

かの3人が実に可愛く、大変魅力に富んでいることは誰もが知っている。
もはや公理と称してもまったく問題がないレヴェルといえよう。

その事実、つまり3人が可愛く魅力に溢れているということ。
それを、果たしてベビメタの3人、本人たちは知っているのか?

いや。
「知っているのか?」というよりも。
「しっかり認識しているのか?」と形容した方が良いかもしれない。

思うに。
3人ともまだ認識していない。

つまり、ベビメタの3人は、自分たちが誠に可愛く、非常に魅力ある存在であるということを、まだしっかりとは認識していないということで。

先に挙げた類型でいえば、C)の『自分は知らないが、他人が知っている自分』というか。

この場合の“自分”とは、もちろんベビメタ3人のそれぞれを指す。
“他人”とは、例えばスタッフであったり、ファンであったり、要するにベビメタを取り巻く人々の総体を指す。

もちろん、ライヴでのファンの反応だとか、各種SNSやブログ、またCDやDVDやグッズのセールス等々から、自分たちの存在が皆に喜ばれていることは、3人とも十二分に知っていよう。
しかしながら、自分たちの可愛さについては、未だ十分に認識していないように思える。

逆から考えてみる。

自分が可愛いことを知っている女子、あるいは自分が他人から可愛いと思われていることを知っている女子の場合。

どういう角度から写真やビデオを撮られれば、どういう可愛さ、どのレベルの可愛さが描出できるかを知っている。
例えば、左側からならキラーアングル、自分の最高に美しく可愛い画が撮れる。
右側から撮ってもらい、少しくふくれた顔をすると、小悪魔的な自分を演出することができる、等々。
時と場合によって、自らを巧みにディレクションできるというか。

“可愛さ”は、もちろん見た目ばかりではなく、内面をも含む。
内面の可愛さを演出するベストな方法は、“リアクション”でそれを見せることであろう。
こう言われたら、こう返す。
そうすると、すごく可愛いと思ってもらえる。
ああ言われたら、そう返す。
すると、まあそこそこ可愛いと受け取られる。

自分が可愛いことを知っている女子は、常に百パーセントの可愛さばかりを出すのではなく、そのときどきの状況や相手によっては可愛さにあえてオブラートをかけ、相手が自分に対して好意を抱きすぎないようにしたりすることもある。
嫌いな奴に好かれたくね〜し。
みたいなww

要するに。

自分が可愛いことを知っている女子なら、自分の可愛さの発露を制御し、TPOに応じてその放射レベルをコントロールしようとする。
外面、内面の別を問わず、自分の可愛さの現出レベルをある程度制御したりするのである。
場合によっては、可愛さを作り出すこともできる。表情や仕草も完璧である。
自分の可愛さや魅力を熟知、十分認識した上で、それに則った行動を取る、つまりはプロデュースできるというか。
このあたりの“プロ”は、アイドルばかりではなく、例えばキャバ嬢などにも強者がいるような気がする。

んでもって。
ベビメタに戻る。

僕が思うに、あの3人は、自分たちの可愛さや、その影響力の大きさをまだしっかりとは把握していないような気がする。
よって、自分たちの可愛さを特にコントロールするということもなく、可愛さを作るということもなく、ライヴやインタヴューなどでは、惜しみなく可愛さ全開状態になる。

結果として、全世界的なレベルでキュン死する者多数という状況になる。

まあ、キュン死の良いところは生物学的な死ではないということだろう。
キュン死とは、例えば1日に30時間ぐらいベビメタのことを考えるようになったり、可処分所得全額をライヴやグッズにつぎ込んだりすること等を指す(筆者談)。

近いところで強力なマテリアルをひとつ挙げるとすれば、やはりあの動画であろう。
そう。
他でもない、あれである、巷間有名な。
水野由結アリアナ・グランデのファンだと知った米国人インタヴュアーが「じゃあ、アリアナの歌をちょっと歌ってみてくれない?」と振ったときの、水野君本人によるあのリアクションである。

あの動画1本で、水野ファンがグローバルベース、1千万人は増えたであろうと計算される。
ちなみに、1千万という数字は決して当てずっぽうな数字ではなく、僕が独自に開発した、最先端のIT技術に基づいた、最新式の統計学的手法を適用して算出された数字である。
このマル秘な算出方法とそのシステム、いずれは特許を申請し、JAXAにでも売り込もうかと計画中である。

あの動画に見られる水野由結のリアクションは極めてナチュラルであり、自分が可愛く見えるように振る舞った結果描出された可愛さ、作られた可愛さでは断じてない。

まごうかたなき“地”の水野由結が出た瞬間であり、その可愛さのレヴェルは世の中の男子をして即死させるに十二分な破壊力を持っていた。

あの破壊力の大きさは、あのリアクションが「作られた」可愛さではなく、内面から自然発露した可愛さだったがゆえと言っても良い。

あの動画を初めて見たとき。
まだ閲覧途中だったというのに、僕は反射的にクロームの当該タブを閉じていた。

ヤバい。
今、見たの……、何?

水野。
ヤバ過ぎ。

恐る恐る、もう1回つべを開いてみた。
再生する。
見る。
やっぱりヤバかった。

これはオレにとっての、2015年“Video of the Year”になる。
そう確信した。

まるでトマトをにぎりつぶすかのように、水野君に心臓を鷲づかみにされた向きは多かったのではないか。グチャグチャにココロかき乱されたとゆーか。

実のところ、僕などは人間的に大変に未熟なため、あの動画を見てから2〜3週間、仕事やらプライベートな雑事やら、一切合切が手に付かなくなり、大変に難儀したものである。典型的なキュン死状態である。

可愛さの発露ということでいえば、もちろん水野さんだけではなく、中元さんや菊地さんも十分にしかりである。ステージやインタビューやその他諸々、可愛さの制御やコントロールは見当たらないのである。もとより、んなもん不要、常に全開なのである。

ファン歴(つまりは一応メイト歴)は1年と8か月少々を数える僕だが、未だにベビメタに対するコミットメントの度合いは衰えを見せない。

と、そこに。
「バ〜カ」
という声。

ん?

「ベビメタは、3人とも、自分たちがいかに可愛いかなんて、良〜っく知ってるよ」
そう……?
「あったりまえよ。その上で、しっかり可愛く見せてんの。あたかも自然と振る舞っているようにな」
ふ〜ん。
「すべては芝居よ、シバイ」
芝居ねえ。
「そ〜だよ。わっかんね〜の、そんなことも? 奴らは幼いころからプロフェッショナルな教育を受けた、根っからのタレントなんだし」
あ、そ。
「ユメ見るオサーン、哀れだね〜」(プゲラ)
はいはい。
冒頭で書いたアナロジーで言うなら、実は A)の「自分も他人も知っている自分」ってことね。

もしそうだとしても。
ダイハードでハードコアなおっさんのメンタルは屈強であるw

結局のところ3人の“演技力”はまったくもって天晴れなのであり。
その意味でリスペクト120%。

喜んでだまされましょう。
進んでだまされましょう。
無問題。
僕の BABYMETAL に対するコミットメントには、寸分の違いも揺れもブレも出ないのである。


それにしても。

こうして僕がしょうもない作文を書き散らかしている間にも。
ベビメタの3人は、全世界的なレベルで人類を魅了し、ファンを増殖させている。
そのスピードは未だ衰えることなく、いやむしろ日々加速度的ですらある。
しかも、累乗レベルで。

11月現在17才の1名と、16才の2名は、自らの可愛さを制御することなく、つまりは惜しげもなく披露し続け、結果としてキュン死者の数は全世界的な規模で増え続けるばかりなのである。

自分は知らないが、他人が知っている自分のパワーはときとして絶大だったりする。

そしてまた、若いということは、時として容赦なく、実に残酷なものなのである。

ベビメタに「飽きる」とか、ベビメタが「嫌いになる」とかの周辺部と、人生との関係等に関する考察(みたいなもの)


※(注)これは僕の想像、空想、夢想などが全開になっている作文である。したがって自分にとってすこぶる都合の良い解釈、曲解、仮説、思い込み、ロジックの飛躍(あるいは破綻)などに満ちており、大変に貪欲かつ欲張りな内容となっている。もちろん正確性や客観性などは望むべくもなく、それらは微塵も存在しない。


◇ 11月になった。
あれからそろそろ3カ月半を数えることになる。
他でもない、僕がこのブログのアップデートをさぼり始めてからである。

その間、「いつ再開するの?」とか「早くして」とか、大変もったいないメールやコメントを頂戴したりして、ひたすら恐縮するのみなのであった。
深く御礼申し上げます。
どうもありがとうございました(ぺこり)。

ところで。

いただいたメールの中に、
「ベビメタに飽きちゃったんですか?」とか、
「もう嫌いになったんですか?」
というメッセージがあった。

むふふ。
イイね!

僕は思わず微笑んでしまった。

もしもである。
僕が BABYMETAL に「飽きる」ことができたら。
もし「嫌い」になれたなら。

全然悪くないのである。

というか、もしも僕が本当にそうなれたとしたら、僕の毎日、あるいは“人生”と形容しても良いやもしれぬ。
それらはかな〜りラクになるであろう。


何しろである。

毎日毎日あれやこれやと考えなくて済む。
悩まなくて済む。
画像や映像や記事やSNSや、その他諸々、ベビメタに関する情報を追わなくて済む。
チケットが当たっただの、ハズれただの、一喜一憂する必要がなくなる。
精神的に楽になる。
時間だって、大幅にセーブすることができる。
もちろん、カネしかり。
浮いた分を、何か他のことで有意義に使えばよろしい。


何だ。
良いことづくめではないか。

よし、こうなったらベビメタに「飽きる」とか、ベビメタを「嫌いになる」とか、そっち方面を目指してみよう。

わ〜い。
ワ〜イ。
Wa〜i …..

……。

ここで。

ふと考える。

毎日の生活が。
あるいは人生全般が。
ラクになる。
それは間違いない。

しかし、である。

僕の生活や人生から、喜びや楽しみが失せてしまうリスクは看過できまい。

2014年春以降、ベビメタに対する時間的、金銭的な投資は結構なレベルにまで達している。

しかしながら、そこから得られる対価、反対給付は、投資のレベルをはるかに超越して来た。

それはつまりこういうことだ。
僕の時間的、金銭的投資の総額、トータルなバリューを100とする。

それに対してベビメタの3人や神バンドの面々が僕にくれたもの、それらは目に見えるものもあれば、目にはさやかに見えないものもある。後者は例えば癒しというか、精神的充実感とか、とにかくその類のものである。
それらの総合的な価額、価値は200か300、あるいはゆうに千を超しているのかもしれない。

とするとだ。

Investment < Return

という極めて単純な不等式が成立することになり、当該の投資は誠に妥当なものといえるのである。

むしろ、この投資をやめてしまったら、そこから食らうであろうバックファイアは僕に甚大なる被害を与えかねないのである。


かくして。

や〜めた、なのである。
「飽きる」とか「嫌いになる」という状況から導かれるロス(損失)の大きさは到底無視できないレベルであり、僕の人生を退屈でつまらない、それは例えば笑顔のない、味気ない生活にしてしまう可能性が大変に大きいということなのである。

結局、僕にとって、ベビメタ大好きは正義であり。
また、人生を送って行くプロセスにおいては、決定的に必須の条件なのであった。

(※てかさ〜、そもそも論じゃないけんども、ベビメタに飽きるとか嫌いになるとかって、どだい無理な話っしょ。無駄な抵抗はやめろ、素直に投降せよって感じ(?)w)

(※ところで、本作文に添付した写真、ステージ後ろから3人を撮った写真、素晴らしいっすよね〜、今季、僕の一番のお気に入りです)


◇ ベビメタと来れば、やはりさくら学院であろう。
昨今、僕は5代目生徒会長、磯野莉音を大いに見直している。
今年5月、東京・恵比寿はザ・ガーデンホールにて「さくら学院 2015年度 〜転入式〜」に参加したときには、磯野が生徒会長に正式決定したということで、余計なお世話ながら少々、いや大いに不安になったものである。
「できんのか、おい?」
みたいな。

しかるに。

磯野は僕が抱いていた不安が、単なる杞憂であったことを証明してくれた。
もちろん完璧であると言うつもりは毛頭ないが、新たに入って来た6人をはじめとして、既存の在校生まで含め、しっかりと皆に気配り目配りしながら、それなりに全体をまとめているような気がする。

それは例えば、トークの場面などでいたずらに全面に出てこようとせず、メンバーに機会を与えるとか、集合写真では後列に回るとか、そのあたりに磯野なりの配慮があるような気がするのである。

学校のお勉強はあまり得意ではないのかもしれないけれども、あんがい地頭(ぢあたま)は良いのかも(?)。


◇ ところで、ベビメタブログをサボりまくっていた理由は至極単純である。
仕事が忙しかったため。
これに尽きる。
多忙すぎて、作文する精神的余裕がなかったと言っても良い。

とはいえ、海外ツアーや国内のZepp 関係などは、逐一もれなくチェースしてきたので、情報にはとりあえずついて行けている(はずである)。

それにしても、海外や Zepp で現場にいた人たちの raw な文章の面白いこと面白いこと、現場での息遣いが聞こえて来るような、ド迫力に満ちたブログやSNSが多かったように思う。
どんなケースであれ、現場にいた人の言葉は圧倒的な迫力を持って迫って来るのであった。


◇ ところで、ワールドツアーのZepp関係チケット抽選は全滅であった。
まあ、「全滅」とはいっても、地方は一切狙わず、Zepp TOKYO のみを狙い、しかも THE ONE で落選して以降は、まったく他をチャレンジしなかったので、というか、チャレンジ「できなかった」ということで、それはつまり仕事に追いまくられてチャレンジする余裕すらなかったということなのであり、実に弱い“チャレンジ”なのであった。

横アリはとりあえず THE ONE を通して、12月12日、13日ともシートで申し込んでみた。
昨今のクジ運の悪さを十二分に認識していたので、モッシュピットは一切狙わず、超アンパイということで、両日ともシーティングエリアで申し込み。

2日間当たったらどないしよ〜、超楽しみ〜。

などと浮かれていた僕のアタマをアミューズさんは、しっかりと冷やしてくれた。

結果は両日とも落選。

は〜、なるほど、これもメタルレジスタンスの一環か。

僕は、元来、相手に嫌われれば嫌われるほど萌える(燃える)タイプであり、10月下旬あたりから仕事も少し安定して来たので、HP優先だかで再チャレンジに挑んでみた次第。

結果。
12日、落選。
13日、当選。

当落結果が出たのとタイミングを合わせるかのように、友人から某アーティストのライヴ@12月12日に誘われた。

というわけで、12日のベビメタはギヴアップし、13日、単日の参戦で手打ちにした次第。
ま、こんなもんかな、オイラの人生w

ところで、来年に向けて、何らかのアナウンスメントは出るのであろうか。
わくわく。