されどロックな日々 - ANNEX

「されどロックな日々」、別館 (ANNEX) でございます (^^)

さくら学院担任、森先生の魅力を考える。その1 〜 愛は惜しみなくなのである


このところ、出張やポールマッカートニー公演観戦、洗車、5月のライヴに向けたバンドのリハ、BABYMETAL 黒ミサ・赤ミサの写真鑑賞、ウクレレの個人練習、耳掃除、パスタ調理、歯医者などで多忙を極めたため、少しく疎かになってしまった。

とはいえ寸暇を惜しんで「水野由結の魅力を検証する」シリーズの続編、その4を書く途上、何気なく森先生のことに言及してみたら止まらなくなり、そうだ、こうなったらちょっと森先生について作文してみようと思うに至った。

考えてみれば、これは誠に妥当なことである。

なぜなら。

水野シリーズその3の中では、卒業式LVにおいて見られた、美しすぎる水野さんのことを書いたわけだが、その続きを書いていたところ、何とも心が高揚し落ち着かなくなってしまったので、ここでいったんクールダウンを試みること、すなわちさくら学院におけるキーパーソンであらせられるところの、クールでジェントルでスマート(頭脳明晰)な森先生をトピックとすることは、誠に時宜にかなったアレンジメントといえるからである。

水野さんシリーズは、また改めて後日したためてみたい。


さて……。


森ハヤシ先生である。
非常に面白い人である。
かなりすごい人でもある。

さくら学院の人気が上昇して行く過程で、個性豊かな女子たちの魅力を最大限に引き出したという点において、この人の貢献には絶大、甚大、巨大なるものがあろう。
明らかなる功労者なのである。

などと書くと。
森先生に盛り過ぎ。
とか言われそうだが。
いや、そんなことはない。


ここで、森先生の特徴を挙げてみよう。

1) 生徒いじりが抜群に上手い。
2) コミュニケーションを楽しんでいる。その楽しさが見ている方にも伝わって来る。
3) 生徒たちに対する遠慮はほとんど無きに等しく、むしろ不躾で容赦ない。ただし、それは愛情の裏返しのようである。
4) 脳内における演算処理速度が極めて高く、生徒たちによる、ほぼ予想不可能なリアクションにも、瞬時に対応することが出来る。かつそのプロセスにおいて、生徒たちの個性やキャラを引き出すことが可能であり、その力量は天下無敵。
5) 髪型やメガネなど、老けメークっぽい演出が似合う。垢抜けない教師を模したであろうダサっぽい衣裳も似合う。
6) 表情が豊か。良く見ていると、実に色々な顔を見せている。
7) 声の表情も誠に豊かである。特に先生モードに入っているときはまるで声優のごとし。
8) アイドルな女子たちを相手とする男であるというのに、その女子たちのファン、すなわちさくら学院の父兄さんたちやベビメタメイトさんたちにも人気がある。
9) 字が汚い。

ざっと、こんなところであろうか。

僕がベビメタに入れ込み始めた、去年の春。
ビデオで初めて森先生を見たとき。

確か、2010年の年度末テストの映像だったと思う。

「この人、仕切りは上手いけど、老けメーク、似合わね〜」と思った。

イワシのような顔。
特徴があるようでないという印象。

もしかしたら、あの髪型やメガネは決して老けメークを狙ったものではなかったのかもしれない。

だが、いずれにせよ、ご当人がまだ若いため、あの髪型、メガネ、地味な衣装等には少々無理があると感じたものだ。
若さを隠し切れていなかった。あるいはうるさ方の教師という方向の演出の割に、そこはかとなくサワヤカさが残っていたと言っても良い。

しかし。
最近は、それなりの年月を経て来ているせいか、あの独特の髪型やメガネも完全に板に付いて来た感じがする。
お似合いと言っても良い。

ときにはサメのようなシャープな顔。
ときにはイルカのような愛嬌のある顔。

そう。
何気に:

  • ハンサム。
  • エレガント。
  • グッドルッキング。

要するにイケメン先生なのである。

さくら学院を構成する、重要かつ貴重な一つの個性、キャラクターとして、きっちり確立された感すら漂っている。
ここ最近は実にベストフィットな演出だと思うに至っている。
明らかにさくら学院に必要不可欠なキーパーソンといえよう。


それにしても、あの年度末試験シリーズはとても面白い。
2010年版からすでに5回を数えるが、それぞれもう何回見たことか。

実質的には、あのテストの点数など、あくまでも取るに足らない数字であり、生徒たちが将来芸能活動を続けて行く上で何の問題にもならない、毒にも薬にもならない代物と思うのだが、その場で明確なる序列を付けられるためか、かなりのハイテンションで必死な女子達のリアクションが非常に面白いし、何よりも悪魔のような高笑いを響かせながら、場の雰囲気をあおりまくる森先生の仕切りが実に秀逸なのである。

一方、女子たちにとっては、しっかりとしたメリットがあると考える。
つまり、あの雰囲気の中でもまれることによって得られるものが多々あろうことは、まったく想像に難くないということで。

将来のスーパーレディをめざすに当たっては、頭の柔らかいうちに、森先生といいうキレ者と仕事ができるということが、どれほど良い勉強になり、またいかに有意義か、もしかしたら本人たちが一番良くわかっているかもしれない。


この際だから、演出の一環として、あえて露骨なえこひいきを取り入れても面白いと思う。
などと書くと、関係筋や父兄さんの筋から悪趣味の誹りを受けそうな気もするが、あくまでもネタとしてぐいぐいと場面をかき回してもらいたいと思うのである。


ところで。

かつて、僕が会社員として、真面目にお勤めをしていたころのことである。
新人教育担当として、4月に入社して来る新卒連中の導入教育を仰せつかったことがあった。

仕事内容は、学生から社会人へのシフトをスムーズにしてやること。
会社の文化に馴染ませること。
一般的な業務のプロセスを身に付けさせること、など。

んでもって。
研修を始めてみると。

男性新入社員。
→問題なし。
お互い男同士、基本的な思考回路は同じ。
意思疎通はうまくできていた。
少々荒っぽい扱いをしても、コミュニケーションが壊れることはなかった。

女性新入社員。
→無理。
→難題。
→不可能。
そもそも、僕とは基本的な思考回路が異なっていた。
圧倒的に感情が先行する感じ。
論理的に考えるのが不得意なくせに、屁理屈だけは妙にうまい。
質問内容に皮肉が含まれていたり。
教育担当の僕に、何かと反発して来るのであった。

研修だとか導入教育だとかいう名目ではあったが、僕にとっては『闘い』以外の何物でもなかった。

「新人の若いコたちに囲まれてイイな〜、オマエ」などと言われることもあったが、全く持ってとんでもない話である。

とにかく女子の扱いは難しい。
特に相手がグループとなると、実に手強い。

僕はそれを経験から深く学んだ。
どのくらい深く学んだかというと、しんかい6500が潜れるレベル以上に深くである。
なかなか苦い思い出だ。

そういえば、その経験をネタにしたオリジナル曲を持っている。
2年前に作り、『愛の係長』というタイトルを付けた。

新人教育担当の係長君と、新人女子たちとの間で繰り広げられる、日々の仁義なき戦いを双方の目線で語った歌だ。
闘いなのであるから、勝負だってある。

バンドではやらないが、弾き語りで歌ったりすると、ステージのあとで、恐らくは管理職を経験されたお方なのであろう、男のオーディエンスに声をかけられ「あの歌、すっげ〜良くわかります!」とか激励されたりして、その人との間に、誠に美しい友情の芽生えを感じたりすることも何回かあった。

職場の男たちは、皆、女子社員、女子職員で苦労しているのだなあと実感する瞬間である。

そういえば、かつての同級生に教師をやっている男が2人いるが、現役のプロであるべき連中ですら口をそろえて女子生徒の難しさを指摘する。


だからこそ。
森ハヤシ先生の女子ハンドリングの上手さに、僕は大いに括目するのである。

僕の場合、相手の女子たちは学校を修了した連中だったから、少なくとも年齢的には一応オトナであった。

しかし、さくら学院の生徒たちは小中学生であり、思春期まっただ中、実に難しい年代である。

しかも普通の女子ではなく、将来は芸能界において、スーパーレディになろうという猛者(もさ)ばかりである。
おしとやかな女子もいようが、かえってそういう子のほうが手強かったりもするわけで。

あの女子たちをしっかりとマネージしコントロールすることは、そうそう簡単にできることではない。

森先生は何気なくやっているように見えるけれども、実際には水面下でかなり強力に水をかいているものと思われる。
つまり、目にはさやかに見えぬところで、相応の努力や苦労をされているのではあるまいかと想像する次第。

とはいえ、かような水かきはさておき、女子たちとのコミュニケーションを、何よりも楽しんでやっているという空気が、しっかり見ている方に伝わって来るというところはさすがである。

演者たるもの、自分が楽しまなくては、見ている者を楽しませることなど絶対的に不可能なわけで、おざなりの芸をしている演者など、視聴者には即見抜かれるし、即飽きられる。


ところで、芸能界には、いじりの天才のような方々がたくさんいらっしゃる。
こと、さくら学院生徒相手という点からすると、山ちゃんやタカアンドトシsaku saku のぬいぐるみMCの人、HOT WAVE のMCの人あたりが非常に上手かったし、とても良い仕事をしていたという記憶がある。

だが、森先生の面白さは、群を抜いている。

何が違いをもたらしているのか。

それはズバリ、女子たちとの距離感の違いであろう。
要するに「近い」のである。
結果として、女子たちに対する斬り込み度合いに、大いなる違いがもたらされる。

さくら学院のクラス担任なのであるから当然といえばあまりに当然なのだが、その圧倒的なアドバンテージは、結局のところ、圧倒的に強力なのである。

それだけではない。
生徒たちに対する基本的な愛情の度合いが極めて大きく、まったく別次元という点も挙げられよう。

それはやはり、さくら学院に対する根本的なコミットメントの違いに由来するものと思われる。

さくら学院に対する愛情の深さといえば、ゆいもあやシラサキが有名だが、森先生も決して負けてはいないといえよう。


ところで。
愛情といえば。

去る3月29日、森先生の卒業式でのスピーチにはぐっと来るものがあった。

「卒業してからも、俺を先生づらさせてといてくれよな」

正確にどういう言葉を使ったのかは良く覚えていないのだけれども、確か、こんな一節があったように記憶する。

すいません、ハンカチもらっていいですか。

ゆいもあ、そして田口や野津らに対する未練が大アリだったところが、大変に素晴らしかった。心を揺さぶられた。

あの言葉は、NHKホールにいた父兄さんたちや、LVで映画館にいた父兄さんたちの気持ちを代弁していたような気もする。

もちろん、卒業生4人もついホロリと来たのではないか。

もしかしたら、愛おしくなってしまったかもしれないし。
可愛いと思ってしまったかもしれない。
先生の頭のひとつも撫でてやりたくなったかもしれない。

にもかかわらず。

森先生は、舌の乾かぬうちにさりげなく憎まれ口をきいたりするわけだから、見ている方は、師の卒業生4人に対する愛情がいかに大きく、またいかに深いかを改めて認識するのであった。


一般的に見て。
女に対して未練がましい男はカッコ悪いものである。

しかるに。

あの場における森先生は実にカッコ良かった。

本来はカッコ悪いことであるにもかかわらず、それがカッコ良く見えてしまうところに、森先生の魅力が垣間見えるのである。

(その2に続く)